コンフェデレート社物語Vol.7「カトリーナとその後」
コンフェデレート社物語Vol.7「カトリーナとその後」
今までの情熱と全てのエネルギーを込め、2005年の秋より、いよいよ待ちに待ったフル生産体制が整った念願達成にコンフェデート・モーターサイクル社全員が達成を目前にし、夢を膨らませ、その「時」を待っていました。
誰も、次に起こる壊滅的な打撃を予想していませんでした。
「ハリケーン カトリーナ」
2005年8月23日、バハマ南東で熱帯低気圧が発生。小アンティル諸島方面から西進してきた10番目の熱帯低気圧の残骸と合体、熱帯低気圧となる。

8月24日朝、11番目の熱帯性暴風となり「カトリーナ」と名付けられる。
8月25日、ハリケーンとなり28日ブッシュ大統領はルイジアナ州に非常事態宣言、ニューオリンズ市は48万人の市民に避難命令を発令。
8月29日ルイジアナ州に再上陸。その後、勢力を落としながら北上。ニューオリンズの8割が水没した。市の公共サービスは完全に麻痺し、市の完全封鎖を含む緊急事態宣言が出された。市内の各地では廃墟のような町並みが広がり、あらゆる面で壮絶な光景が広がっていた。
その時チェンバースは。
その時チェンバースはコンフェデート・モーターサイクル社の投資家が居る中東を訪問していた。
そしてコンフェデート・モーターサイクル社、ファクトリー、メンバーが悪名高い「カトリーナ」によって全て破壊されたことを知るのに時間は掛からなかった。

プロダクションは中止された。
後に残ったのは不屈の闘志と精密なプログラムだけだった。

億万長者ではないチェンバース、もはやこれまで。という窮地に追い込まれた。
しかし夢を追いかける者の闘志は素晴らしい。
すぐさま再建というよりも目的達成の為、走り出した。
チェンバースは壊滅的な打撃を受けたニューオリンズで新しい社屋を探すより他の地でオーバーライトリセットする方が得策と考えアメリカ合衆国中を回り、壊滅的打撃から3ヵ月半の2005年12月15日チェンバースは南の地に移転する。と発表した。世界最大のオートバイコレクション、有名なハーバーモータース博物館のあるアラバマ州バーミンガムでアメリカンドリームを実現させる為、

本格的にスタートした。
ブログラムだけ残ったB91だが、これによって再考され、全てのシステムとB91は最初のプロトタイプよりも、あらゆる面で素晴らしく卓越したスポーツ・アメリカンB120へと変身した。

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